2012年12月16日日曜日

wikibooks「Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01」ロベルトとニック、その1

A: coi .robert.
B: coi .nik.
A: xu ti selpo'e do gi'e karce
B: na go'i .i lo mi karce cu va zvati
A: lo xunre xu
B: .ie
A: karce .a'u
xu ti selpo'e do gi'e karce

ponse
x1はx2をx3(法/慣習)のもと所有する
se ponse
selpo'e
x1はx2にx3(法/慣習)のもと所有される
「sel」は、sumtiの場所を転換するma'ovla「se」のrafsiである。
要するに、述語の変数項を転換する助詞の「se」の合成語形ということである。
これを「ponse」の合成語形(rafsi)である「po'e」と合成し、「selpo'e」とすることで、
「ponse」のx1とx2を転換する。

gi'e
かつ(英語のand、エスペラントのkaj)
この文の場合、前者と後者が共に真のときに、返事はgo'iとなる。
どちらか一方、あるいはどちらも偽のときは、返事はna go'iとなる。

karce
x1はx2(客/荷)・x3(原動力)の車

文の構造としては、

xu
ti selpo'e do
gi'e
ti karce
(2つのtiは同一)

真か偽か?
これはあなたに所有され、
かつ
これは車である。

つまり、
「これははあなたの車ですか?」

ただし、
xu ti du lo do karce
これはあなたの車と同一ですか?
これはあなたの車ですか?
du
「同一である。」を表し、機能語(ma'ovla)であるが、述語(selbri)になれる。
英語のbe動詞、エスペラントのesti。
この表現のほうが自然。

また、
xu lo vi karce cu selpo'e do
とすれば、「この車はあなたのですか?」となり、原文に近い。


na go'i .i lo mi karce cu va zvati
いいえ。私の車はあっちにある。

zvati
x1(物/事)がx2(事/所)に居る/在る
vaはx2ではない。vaはzvatiにかかり、zvatiしているのがそこそこ遠いことを表す。
空間の距離を表すのにはvi(近) va(中) vu(遠)を使う。
時制のpu(過去) ca(現在)ba(未来)と同じように使える。
つまり、vi va vuをselbriにかけて、その述語の発生源や状態の距離を表す方法や、
vi va vuのあとにsumtiをおいて、そのsumtiからの距離を表現する方法がある。
前者は
mi vi gunka
後者は
viku mi gunka
ともに「私はここで働く。」である。
後者について、
vi mi gunka
とすると、viのあとにくるsumtiはviのものなので、「私のところで(誰かが)働く。」となる。
この注意点は時制と同じである。
mi pu gunka
puku mi gunka
私は働いた。
pu mi gunka
私の前に(誰かが)働いた。
pu句やvi句の中身がないなら、終端子kuですぐに閉じる必要がある。


lo xunre xu

xunre
x1は赤色/クリムゾン
lo xunreは赤いという形容詞ではない。
赤いx1そのもの。つまり赤いものという名詞である。
赤であるx1そのものですか?
赤いものですか?


.ie
心態詞。それに賛同する気持ちを表す。
go'iでも良いが、それは単に真である事実を表し、気持ちは込められていない。


karce .a'u

a'u
心態詞。それに好奇心を覚えて惹きつけられる気持ちを表す。

車に引きつけられている気持ち。
(話者の気持ちとして)いい車だ。

karceはselbriである。x1が省略され、「(何がかは言わないが)車だ!」という意味である。
それに、話者の気持ち「良い」が付加されている。省略されたx1は文脈で判断され、この場合、Bの車を指すはずである。

「良い」はxamguだが、これは
x1はx2にとって、x3(基準)で良い/好ましい
である。
lo karce xamgu mi
その車は私にとって良い。

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